私は17歳で中絶を経験しました。 | Stevie Niki

私は一人目の子を妊娠したとき生むか堕ろすか散々迷ってやっぱり生もうと思った直後に流産したのだけど、一度は自分の子を殺そうとした罪の意識は消えないし子殺しで得た自由や色々を素晴らしいとは思えないわ。

2017/04/09 02:13

私は一人目の子を妊娠したとき生むか堕ろすか散々迷ってやっぱり生もうと思った直後に流産したのだけど、一度は自分の子を殺そうとした罪の意識は消えないし子殺しで得た自由や色々を素晴らしいとは思えないわ。 - hilda_i のコメント / はてなブックマーク

中絶する人それぞれに事情があるのはわかってるし、迷った私にも事情はあったのだし、何も知らない癖に高みから見下ろして叩きたいヤツはウンコだと思うのだけど、でもどうしても私はあのときの私も中絶も肯定することは出来ないままだわ。

今二人の子供らを育てているけど、子を持って一層強くなった思いというのは、自分と子供は血が繋がっていても他人、私とは別の人間という事であって、私に子供らが生きる邪魔をする権利はあるのか?否、無いんじゃないの?という事。

人間、同胞といえども自分の命を守る為なら生存競争で弱い者を駆逐するのも已む無し、というのはあるかもしれない。

でも、自分の子供の為に少し譲ってあげても良いのではないか?という、葛藤がずっと私の中にあり続けている。

あの頃の私は本当に人生というものに失望していて、生きる価値なんか無いと思ったから胎児には死んで欲しかったしそれが胎児にとって幸せだとさえ思った。

でもあの子は私ではないから、もし生まれていればわたしとは違って運にも能力にも恵まれて、面白おかしく幸せな人生を送ったのかもしれない。

退場すべきは自分だったのでは?

胎児を押し退けて私を優先することが何故良いのだ?

何で私は胎児の為に我慢してやれない?諦めてやれない?

そんな事を考える。


私は、中絶がどうこう以前にそもそも望まない妊娠をしないのが良いと思うし、生まれて来る子供は皆祝福されて欲しいのだけれど、人が増えれば生存競争は起こり蹴落とされる者は必ず出るのであって、中絶を禁止し母子の生存競争を無くしたって大した意味は無いのだろうとも思う。

ともかく、罪の意識は消えそうに無い。